呉清源 と 橋本宇太郎

                                         高野圭介


瀬越憲作の命を受けて、

高弟の橋本宇太郎は頭山満の親書を携え、満州経由で、
北京に赴き、呉清源と対局。その棋譜を日本に送った。

その時、
二人の打った碁盤が白い布の碁盤であったことを聞いたことから、
東レ・エクセーヌの碁盤の創作となった。

(エクセーヌの碁盤は東レと高野の共同特許)

これにより。呉清源が日本に来る事になった。
つまり、橋本宇太郎と呉清源は兄弟弟子であった。
後に、
呉清源は宇太郎先生との関係から関西棋院名誉客員となっている。



広島・原爆下の本因坊戦・・・橋本宇太郎vs岩本薫戦

余りにも有名なお話しである。
警察の命令で、広島から近隣の町へ疎開して打たれたので、
関係者一同は難を逃れた。


呉清源の引退連碁。
第1手を宇太郎
が天元に打ち下ろした。


映画はそれでお終いとなっている。


関西棋院棋士の登場

中野泰宏九段
は昭和14年に鎌倉の建長寺で打たれた
木谷実との打ち込み十番碁のシーンに記録係として出演。

瀬戸大樹七段
も、研究会に参加していたことから協力。

呉九段が交通事故のあと回復して、
大手合で対局する相手棋士という“大役”だった。
瀬戸七段の打った盤上の石がゆがみ、呉九段が倒れる重要な場面